湯倉神社は函館湯の川温泉街より徒歩10分ほどにある三百六十年の歴史を持つ神社です。
御鎮座の経緯や時期の詳細は不明だが、古くより湯川地区の衣食住の神様として篤い信仰を集めている。稲荷神社の稲荷とは、 「稲成る・稲生る」の義といわれており、「なる」は大自然より与えられた生産活動と希望・発展の意とされている。御神徳は、商売繁盛、五穀豊穣、産業発展、火災・災難除けである。
明治初期(明治以前とも言われている)に大阪の「鴻池」が入植者50人を伴い来道し開拓を始めるにあたって、 滋賀県大津の比叡山「日吉大社」の分霊を祀る「社」を現在の日吉町4丁目に建てたとされ、産業道路の新設拡幅工事による移転のため、現在は湯倉神社の境内に鎮座している。
湯倉神社の御神木は、オンコ(イチイ)の木で湯川一の古木であり、樹齢は約370年と言われている。この木は、函館市の保存樹でもあり、他にも境内にはハルニレ、イチョウ、クロマツ、イタヤカエデ、チャボヒバなどの保存樹がある。
銀杏の木は、樹勢が強く勇壮な樹形になり、実である「ぎんなん」は栄養価と効用が高く、日本人には昔から大変馴染みのある樹木として、古来より健康長寿・子孫繁栄などの信仰の対象とされている。当社の「結びの銀杏」も、秋になると黄金色の「ぎんなん」がたわわに実ることから、 「実を結ぶ」「縁を結ぶ」「想いを結ぶ」霊木として知られ、その御利益を戴こうと、秋には、ぎんなん拾いをされる参詣者が後を絶たない。 また、「湯倉の大銀杏」は、樹齢約220年と言われ、境内一の大木として御神木と共に湯川のシンボルの一つとされている。 紅葉の時期には見事な色合いを見せ、その生命力にあやかろうと、近年、手で触れてお参りされる方々を多く見受けることが出来る。
全国的に名高い湯の川温泉は、北海道の三大温泉郷の一つに数えられ、古来より名湯として数多の人々に親しまれており、 その起源は湯倉神社に残る言い伝えに始まる。詳細については由緒の通りだが、箱館戦争時には、旧幕府軍の榎本武揚がこの温泉で傷病兵を治療させ、 また榎本自身も入湯していたといわれている。湯の川の語源は、アイヌ語で「ユペツ」といい、「ユ」は湯、「ペツ」は川の意味で「湯の流れる川」のことである。 かつては、碑の建っているこの場所に温泉が自然湧出していた。温泉の泉質は、ナトリウムカルシウム塩化物泉で、しっとりとした肌触りが特徴で神経痛・リウマチ・肩こり・腰痛・胃腸病などに効果がある。 この碑は、湯の川温泉の発祥を記念して昭和22年9月に湯川倶楽部によって建てられたものである。
日清・日露戦争に出征し、国事に殉じた同地区の戦没者らの慰霊顕彰の為の石碑である。 この忠魂碑は、1911(明治44)年、旧湯川村の有志でつくる帝国在郷軍人会湯川村分会が、戦没者の為に現在の市民会館付近に建立。 「忠魂」の字は、当時旭川第七師団長で後に元帥となった上原勇作が揮毫(きごう)した。1955(昭和30)年に当社境内に移転され、 現在は大東亜戦争までの御英霊342柱と、同分会を母体に発足した奉賛会の物故者を祀っている。
御祭神の大己貴神(大国主神)と「うさぎ」とは御神縁深く、神話「因幡の白うさぎ」において、過ちを犯し体に傷を負った「うさぎ」が、大神様の御慈愛を受け、健やかなる体に蘇り、悪しき心をも改心されたと伝えられており、以来、「吉報」を伝える芽出度い「神獣」とされている。 神話「因幡の白うさぎ」に因み、御祭神の御神徳を広く御参拝の皆様にお受けいただきたいとの願いから、当社創建360年(平成26年)を記念し御神前に設置された。
当社の御祭神・大己貴神(通称:大黒様)にちなんだ、開運招福・諸願成就・健康長寿・身体堅固の御利益がある小槌です。
〒042-0932北海道函館市湯川町2丁目28番1号TEL.0138-57-8282
電停 [函館駅前より]乗車し約30分 電停 [湯の川]で下車し徒歩1分
駐車場を約100台ご用意しております。